幼少期のハンバーグへの憧れ
私が幼いころ、お肉が苦手で食べられない母が作ってくれるお弁当は、いつも煮物やお魚ばかり。
ハンバーグや赤いウインナーが入ることはまったくありませんでした。
お友だちの赤、黄、緑のお弁当がとてもうらやましく、お友だちが食べさせてくれたハンバーグと赤いウインナーのなんとおいしかったこと!
以来、私は今でもハンバーグと赤いウインナーが大好きで、どんなお店に行ってもハンバーグと書いてあれば必ず食べ、ハンバーグがおいしいと評判のお店にはどこへでも出かけておりました。
淀屋橋の小さな洋食屋さんのハンバーグ
そんな私が一番好きだったハンバーグは、大阪市内淀屋橋の古い建物の2階にあった小さな洋食屋さんで、店主夫妻とパートさんの3人で営業していたお店のハンバーグでした。
私がそのお店を初めて知ったのは1984年のことでした。その時にはすでに営業されてから何十年も経っていました。ハンバーグが本当に美味しくて、ランチ時には雨の日も常にたくさんのお客さんが並んでいました。
さまざまな雑誌に何度も掲載され、お店はいつもハンバーグファンでいっぱいでした。
大切な友だちや遠くからのお客さんがいらっしゃる時、私は必ずそのお店にご案内することにしていました。お連れした方の喜ぶ顔と歓喜の言葉、おいしいものを伝えることの満足感と共有できる幸福感。
大袈裟ではなく、私の自慢のお店だったのです。
お気に入り店の閉店とレシピの伝承
それが・・・2000年の冬に突然の閉店。
後から知ったのですが、店主(オーナーシェフ)が体調不良により急逝されたとのこと。
奥さんはどうなさっているのかと気になりながらも、会えるすべもなく・・・
いつかお目にかかれたらと、かすかな期待を胸に、事ある度にお店の前を通っていました。
そんな折の2005年10月、淀屋橋の病院に通院されていた奥さんにばったりとお目にかかれることができたのです。奥さんは、昔の客である私が突然話しかけたので本当にビックリされていましたが、私の事を覚えていてくださいました。私はその頃のお礼とハンバーグへの思いを、やっと伝えすることができたのです。
そして、「あの懐かしい洋食屋さんのハンバーグはどこでされているのですか?」と尋ねました。すると、「50年以上みなさんに愛されてたくさんの方にお越しいただけたことで、店主も満足しているはずだからもう営業はしない」とのことでした。
私は、驚いて、「もう一度あのハンバーグを食べたいです。多くのファンの方々にも食べていただきたいです。ぜひとも私たちのお店(2000年3月にオープン)で、『あの淀屋橋にあった小さな洋食屋さんのハンバーグ』を復活させて下さい」とお願いしたのです。
店主は生前、奥さんだけにしかこのレシピを伝授されていなく、もちろんアルバイトの方にも、お子さんにも教えることをしなかったそうです。
「あなたでしたら、店主もきっと喜んでくれるでしょうから」と、私たちのお店にお越しいただき、そのハンバーグの作り方をすべて教えていただけたのです。材料選びから肉と材料の比率、使用するスパイス。想像をはるかに超えるほどの大量の玉ねぎと牛乳との絶妙なバランスが、あの “ふわふわ”の秘訣でした。
人生を変えたハンバーグの復活
そして2005年12月、私たちのお店で「幻の懐かしいふわふわハンバーグ」として、あのハンバーグを復活させることができたのです。
おかげさまで、あれ以来、雑誌のお店紹介やテレビ番組にも取り上げていただき、連日たくさんのお客様が来てくださいました。
現在は、豊中市庄内『ごはんや ぐぅ』で、伝授いただいた通りと作り方を今も忠実に守りながら営業しています。
そんな運命的な出会いとつながりから復活できたこのハンバーグ。今でもたくさんのお客さんをつないでくれています。そして、もちろん一番人気の看板メニューです。
あの時、奥さんに出会わなければ、「幻の懐かしいふわふわハンバーグ」も、私たちのお店も存在していなかったでしょう。あのハンバーグが私たちの人生を大きく変えました。
これからも、淀屋橋で多くの方々を引き付けたあのハンバーグを、私たちはしっかりと守り続けます。そして、「庄内の名物ハンバーグ」として多くの方々に愛されるよう大切に作っていきたいと思います。
阪急梅田駅から10分、庄内駅からは歩いて7分の『ごはんや ぐぅ』に是非、足をお運びください。